原発推進を訴え続けてきた与謝野馨が、癌で死去。 |
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2017年 05月 25日
日本経済新聞 電子版は2017年05月24日に、祖父母に歌人の与謝野鉄幹・晶子を持ち、財務相や官房長官などを務め、自民党から、民主党に移籍してまで、日本でもっとも原発推進を訴えてきた元衆院議員の与謝野馨が2017年05月24日に分かった。78歳だった。関係者が明らかにしたと報告している。 東大卒業後に勤めた会社日本原子力発電を1968年に辞め、中曽根康弘元首相の秘書になった。 1976年に東京1区から初当選。 直後に血液がんの一種である悪性リンパ腫の告知を受けたが、がんと闘いながら自民党時代には、衆議院議院運営委員長、文部大臣、通商産業大臣、自由民主党政務調査会長、内閣府特命担当大臣、内閣官房長官、財務大臣などを歴任した。 政界有数の原発推進政策通として知られ、財政再建のための消費増税を訴え続けたことで知られていた。 与謝野馨という政治家は、非常に不思議な経歴の持ち主である。 2012年に政界引退。自民党が野党だった10年に新党結成のため離党し除名処分を受けていたが、今年4月30日付で復党した。2月にはおいの与謝野信氏が千代田区長選に出馬するも落選。 2013-10-21---福島原発事故後もアジアは、原子力産業の成長けん引。 2012-04-13---原発に強気だったサルコジ大統領が、福島核失敗を認めた。 2011-06-19---日本人の82%が原発廃炉を希望!
by jiten4ujp
| 2017-05-25 11:19
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