エジソンが、電燈発明の8年後、日本の竹を使った白熱電燈で特許権を獲得。 |
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2017年 01月 02日
1874年にカナダの学生ヘンリー(Henry Woodward)とマシュー(Mathew Evans)は炭素フィラメントの電球に関するカナダの特許を取得した。彼らは開発資金が無く、後に特許をエジソンに譲渡した。 白熱電球の原理は、「ジュールの法則」と呼ばれる電気法則を利用して、抵抗値の高い物質を使った「フィラメント」に通電することで発生するジュール熱によって光を作ると言うものである。 エジソンは電球に関する特許を購入して、1877年ごろ電球の研究に着手した。 エジソンは当初、プラチナをフィラメントに使用して電球を開発していたが、炭素フィラメントに変更している。 1879年10月22日炭化した紙を使用したフィラメントで白熱電灯の実験に成功し、1879年11月01日に 「電球の改良とその製造方法(an Improvement in Electric Lamps, and in the method of manufacturing the same)」として特許を出願した。 1879年12月31日には公開実験で40時間の点灯に成功した。 米国の特許(US Patent no.223,898)が1880年01月27日に発効され、これが「米国」での最初の実用的な電球になった。 白熱電球の開発で、エジソンともっとも競り合ったのがイギリスのジョセフ・ウィルソン・スワン(Sir Joseph Wilson Swan/1828 - 1914)であった。 ジョセフ・ウィルソン・スワン1879年11月10日に、イギリスで炭素フィラメントで排気したガラス球で作った白熱電球の特許を申請した。 1877年に、スワンは紙を炭化させたものをフィラメントに使用して電球の発明に成功した。しかし、スワンの電球はわずか40秒程度しか持たないもので、最終的にスワンは、セルロースを炭化させたものをフィラメントに使うことで大幅に点灯時間を改善させている。 一方、エジソンは数千回にわたる研究の結果、木綿糸にタールを塗って炭化させたフィラメントを使って45時間持たせることに成功した。 1883年10月08日米国の特許局はエジソンの特許がウィリアム・ソイヤー(William Edward Sawyer/1850 – 1883)の特許に抵触し、無効であると裁定した。 しかし、エジソンが発明時から研究改良し、フィラメント材料を見つけるため、最初は木綿糸や友人のヒゲを素材に試し、 6000種類を試したが、ある日、偶然机の上に あった竹の扇子を見つけ、その竹をフイラメントに使ってみると、なんと200時間も灯った。 当時の金額で10万ドルをかけ、全世界へ材料を探すため20人の竹採りハンターたちが派遣され、1200種もの竹を全世界から集めた。 1880年、一人の竹採りハンターが来日し、時の伊藤博文首相と会い、「竹なら京都へ」とのアドバイスを受けた。 京都では、初代京都府知事から「竹なら八幡か嵯峨野がいい」と言われた。そして、八幡男山付近の竹が約2450時間も灯り、エジソン主催の世界竹選手権で見事1位を獲得した。これらの地域は、鉄分が豊かな土質のもと、柔軟で堅固な竹を産していた。 この白熱電燈で、1887年08月31日に特許権を獲得した。 また、ウィリアム・ソイヤーに対する裁定もエジソンが提訴し、結局1889年10月06日にエジソンの特許でフィラメントに関する独創性が認められた。
by jiten4ujp
| 2017-01-02 23:35
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