ベン・ジョンソンが100m9秒83の世界新。 |
カレンダー
カテゴリ
全体 世界のメディア・ニュース 超過去 宇宙 美容と医学の科学 モバイル・マネー 銀行 電子ブック 人物 性とメディア 未来 戦争と平和 ファッション 自然 音楽 宗教 観光 スポーツ アート 麻薬とメディア 犯罪と裁判 政治 経済 言語 健康 食品 教育 調査 オンライン・ショップ 研究 ロジスティクス EV キャラバン資本主義ビジネス 以前の記事
2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2016年 12月 25日
ジャマイカ出身でカナダ国籍の陸上競技短距離走選手ベンジャミン・シンクレア・"ベン"・ジョンソン(Benjamin Sinclair "Ben" Johnson/1961 - )は1985年にベン・ジョンソンは、スイスのヴェルトクラッセ・チューリッヒ(Weltklasse Zürich)男子100mでカール・ルイス(Frederick Carlton "Carl" Lewis/1961 - )に初めて競り勝ち、1987年08月30日の世界陸上競技選手権大会(IAAF World Championships in Athletics)男子100mでルイスを破って9秒83で、当時の世界新記録を樹立した。 アメリカ陸上界のスーパースタールイスのライバルとして、広く認知されるようになった。 ミドルエイジは、1988年のソウル・オリンピックの陸上男子100m決勝で、ライバルのカール・ルイスを大きく引き離し、右手の人差し指を突き立てながら、9秒79の世界新記録でゴールした。 ベン・ジョンソンはゴール近くで勝利を確信し、最後は、全力疾走をやめていたと報告した。 1988年のソウル・オリンピックの陸上男子100m決勝まで、ベン・ジョンソンのカール・ルイスとの通算対戦成績は6勝9敗であった。 カール・ルイスを破り、世界新記録で金メダルを獲得したベン・ジョンソンの活躍一色に染まり、世界一足の速い男の称号を確固たるものにしたかにみえた。 競技後のドーピング検査で筋肉増強剤の陽性反応が出て、金メダルと9秒79の世界新記録はあっさりと剥奪されたのだった。 金メダルは2位のカール・ルイスが繰り上げで承継した。 カール・ルイスはそれまでも100m決勝時においても、ベン・ジョンソンが禁止薬物を使用していることを確信していたと語っている。 また、ベン・ジョンソンは、「私は狙われたんだ。私を陸上界から追放すれば、カール・ルイスが優勝する。それによって彼のスポンサーはボロ儲けができる。あの事件には、莫大なカネが絡んでいた」と言っている。 「カール・ルイスがあのオリンピックで3回薬物検査に引っかかったことは、米国オリンピック委員会でディレクターをしていた医師が2003年に、『スポーツ・イラストレイテッド(Sports Illustrated)』誌に告発している。ルイス側は『うっかり摂取した』と釈明し、米オリンピック委員会はその釈明を受け入れたとも報道されている。あの頃、ドーピングなんて誰もがやっていたんだ。大物選手の薬物検査は不意打ちではやらない。彼らの練習スケジュールを妨げることは許されないからだ。何日にテストに行くとあらかじめ言っておき、選手は身体をクリーンにする。検査が終わるとまたジュース(薬物)を飲む。その繰り返し、ゲームと同じさ。ではソウル五輪で、なぜルイスがセーフで私がアウトだったか。それは私のスポンサーがイタリアのシューズ会社のディアドラで、ナイキでもアディダスでもなかったからだ。ディアドラはナイキのような、五輪のNo.1スポンサーにもなれる企業と比べるとはるかに小さい。だが、ソウルの前年('87年)の世界選手権で私がルイスを破って世界新(9秒83)を記録して以来、セールスが飛躍的に伸び、世界一になろうとしていた。世界の陸上関係者の中には私を気の毒に思う人もいたが、私はとことん闘うことはしなかった。本来、私は消極的で闘いを好まない性格だからね。だが、あの悪夢のような一日を忘れたことはない。あの日から、私の人生は180度変わってしまった。みんながよってたかってベン・ジョンソンの人生を破壊したんだ」と言っていると、週刊現代で報告している。 ランス・アームストロング(Lance Armstrong)のドーピング問題でもにたいいわけがあった。 2013-04-04---ドーピングで信用を失ったアームストロングは、水泳選手?! 2012-10-26---1999年から2005年までの間、ツール・ド・フランスの勝利無し! 2012-10-17---ナイキは、ランス・アームストロングとの契約を終了! 2012-10-15---私はランス・アームストロングの「麻薬ランナー」だった! 2012-08-23---ランス・アームストロングは、ドーピングとの戦いを終えた! 2012-07-23---衝撃!麻薬がないと、ツール・ド・フランスが遅くなった! 2012-07-10---ランス・アームストロングの元医者のうちの3人、生涯禁止! 2012-06-29---7回のツール・ド・フランス勝利者アームストロング、有罪! 2012-06-22---7回のツール・ド・フランス勝利者、米国アンチ・ドーピング機関を非難! 2012-06-14---ツール・ド・フランスで7回優勝したアームストロング、アンチ・ドーピングで起訴! 2009-12-21---2000年-2009年の10年間に起こった、スポーツの世界史。
by jiten4ujp
| 2016-12-25 15:28
| スポーツ
|
ファン申請 |
||