平沼騏一郎内閣、「欧州情勢は複雑怪奇」と声明し、総辞職。 |
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2016年 12月 10日
第一次近衛内閣の近衛文麿首相は、対中情勢の悪化などで政権維持に消極的になり、近衛総辞職が明らかになり始めた頃、木戸幸一厚相は後継者として平沼騏一郎に打診を始め、松平康昌内府秘書官長、そしてまた湯浅内大臣も、後継者として賛同した。 平沼騏一郎は、かねてより右翼勢力から期待されていたが、首相推薦に強い影響力を持っていた元老西園寺公望が反対していた。 特に平沼が天皇親政論者であることや親英米的な外交ができる人物でないことなど、西園寺の基準には適合しないこと、また個人的にも西園寺は平沼が嫌いであったようであったが、当面、他に人材がいなかった。 政策の柱は、泥沼化した日華事変の収拾と、日独伊軍事三国同盟締結であったが、1939年に「国家総動員法に基づいて国民徴用令」が出され、一般国民が軍需工場に動員されるようになり、戦時体制は強化されるばかりであった。 さらに、日独伊三国軍事同盟締結に腐心するうち、ノモンハン事件が発生し、さらに「独ソ不可侵条約」の締結が起こり、日本との間に反共協定である日独防共協定を結んでおきながら、ソ連と同盟するというのは、平沼内閣にとって青天の霹靂であった、また、それは駐独大使の大島にとっても同様であったので、1939年08月28日に「今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み、従来準備来った政策はこれを打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った。」という声明を出して、1939年08月30日に総辞職した。 つまり、政治家として理解を超え、日本の支配者が国際情勢を判断する力を失い、自主的な外交政策を立てられなくなっていたことの証明だったのだろう。 「複雑怪奇」の言葉は、当時の流行語となった。
by jiten4ujp
| 2016-12-10 21:37
| 政治
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