降伏終戦に反対して、15日から愛宕山に籠城。 |
カレンダー
カテゴリ
全体 世界のメディア・ニュース 超過去 宇宙 美容と医学の科学 モバイル・マネー 銀行 電子ブック 人物 性とメディア 未来 戦争と平和 ファッション 自然 音楽 宗教 観光 スポーツ アート 麻薬とメディア 犯罪と裁判 政治 経済 言語 健康 食品 教育 調査 オンライン・ショップ 研究 ロジスティクス EV キャラバン資本主義ビジネス 以前の記事
2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2016年 11月 07日
ポツダム宣言を受諾し、連合国への降伏という玉音放送が流された1945年08月15日に、降伏終戦に反対する右翼団体「尊攘同志会」の首領飯島与志雄はじめとする会員12名が、東京都港区の愛宕山で籠城を開始した。 <a href="http://time-az.com/main/detail/57550">http://time-az.com/main/detail/57550</a> 飯島らは抗戦派軍人の決起を期待し、立てこもった飯島らは、全国の抗戦派の軍人らに決起を呼びかけ流と同時に、自らもこれに呼応することを考え、日本刀や拳銃、手榴弾などで武装していた。 日本の屈辱的な無条件降伏に反対して、徹底抗戦を主張した。 1945年08月16日、17日に、強く和平を推し進めていた内務大臣木戸幸一と、その実弟である和田小六の指定を襲撃し、降服撤回を試みた。しかし、目的を果たすことができず、愛宕山で籠城を続けることになった。 これを知った警視庁では約70名の警官隊を動員し、愛宕山を包囲、投降を呼びかけた。 飯島らは説得を拒否し、1週間にわたり、立て篭り続け、籠城は最終的に1945年08月22日午後6時ごろに、警官隊が発砲し突入、追いつめられた飯島らは、「天皇陛下万歳」と叫びながら、持っていた手榴弾で自決を図り、10名が死亡、一緒に籠城していた会員の妻2名が捕えられた。 しかし、捕えられた妻も5日後、1945年08月27日に、愛宕山の自決現場で、拳銃で自らの命を絶った。 この「尊攘同志会」の自決行動に影響を受け、1945年08月23日に「明朗会」関係者12名が皇居前広場で割腹自決した。 1945年08月24日には、「大東塾」関係者14名が、代々木公園で割腹自決するなど、集団自決事件が続いた。 また、愛宕山自決に呼応する形で、1945年08月24日に「皇国義勇軍」による「松江騒擾事件」も起こるが、これを最後に終戦期の反乱は終息した。
by jiten4ujp
| 2016-11-07 16:41
| 戦争と平和
|
ファン申請 |
||