桂タフト協定が締結された。 |
http://time-az.com/main/detail/56534
当時、日露戦争中であった。
その内容は、対象になっているフィリピンと韓国を協定に参加せせていないという。実に身勝手なもので、米国のフィリピン統治と日本の韓国に対する優越支配を相互に承認した。
桂とタフトは、東京で1905年07月27日の朝から外務次官珍田捨巳の通訳の下で行なわれたが、この協定は、互恵的に署名された文書や秘密の条約ではなく、合意を記した会合覚書であり、この合意覚書は、アメリカ外交史家だったタイラー・デネット(Tyler Dennett)がセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)文書中で発見して、1924年に雑誌『Current History』にタフトが時の国務長官エリフ・ルート(Elihu Root/1845 - 1937)に宛てて送った合意の電文を掲載したときまで公表されなかった。
この協定が、国際的に非常識と感じていたのだろう。