水俣病の安全宣言。 |
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1997年10月には、仕切網が撤去され、漁業も再開された。
熊本県は1958年08月に、水俣湾海域で漁獲しないよう県漁連等へ指導通達を行い、以降水俣湾で漁業が行われなくなった。
2016-03-16---全米で600万人が、鉛汚染水を摂取!
2013-09-18---インドネシアで起こっている水銀中毒の実態。
2013-01-19---140カ国以上が、法律上拘束力のある水銀規則「水俣協定」に同意。
2009-09-06---米国の「毒の街(Toxic town)」。
2009-07-02---水俣病救済法案、与党と民主党が合意した。
2006-12-01---22の髪染め剤物質の使用禁止した!
2006-07-20---22の髪染め剤物質の使用禁止!
1987-03-30---水俣病訴訟で熊本地方裁判所が、総額6億7400万円の支払いを命じた。
1978-10-15---米国のカメラマンであるユージン・スミスが死去した。
1973-03-20---熊本地裁で、水俣病患者側の主張を全面的に認め勝訴した。
1971-09-10---米国の写真家ユージン・スミスが水俣病で現地に入った。
1970-10-12---宇井純らが、夜間に公開自主講座「公害原論」を開講した。
1968-09-26---厚生省(当時)が水俣病を公害病に認定した。
1959-11-02---熊本県不知火湾の有機水銀汚染問題で、警察隊と乱闘になった。
1956-04-21---新日本窒素水俣工場付属病院で中枢神経に異常のある5歳の女児が受診。