南軍のテネシー州が最初にアメリカ合衆国に復帰。 |
また、住民投票の結果は、3対1の多数で合衆国への加盟に賛成した。
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1796年6月1日の最終投票で、連邦議会はテネシー州が合衆国16番目の州として加盟することを承認した。
しかし、1861年02月に、州投票者の55%が脱退州の会議に代表を送ることに反対票を投じた。
1861年04月に、サムター要塞(Fort Sumter)の戦いが起こり、エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln/1809年 - 1865)大統領が脱退州を合衆国に呼び戻すために75,000名の志願兵を募ると、大衆感情は劇的に北部に反対する方向に変わった。
1861年6月8日の住民投票で東テネシーは脱退に確固として反対の立場をとったのに対し、西テネシーは同じくらい賛成が多数を占めた。結論は中部テネシーに委ねられ、06月には88%が賛成し、合衆国から脱退した最後の州になった。
テネシー州内で、多くの戦闘が行われたが、その大半は北軍の勝利だった。
南北戦争後の1865年02月22日、テネシー州は個人資産を差し止める憲法修正条項を採択し、1866年07月18日にアメリカ合衆国憲法修正第14条(Fourteenth Amendment to the United States Constitution/Amendment XIV)を批准した。1866年07月24日にはアメリカ合衆国への復帰を認められることでは最初の州となった。