北海道開拓使長官、国費1400万円をかけた事業を民間に38万円で払下げ! |
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大隈重信が密奏した意見書は、イギリス流議会制の採択と、1883年(明治16)年初頭の憲法制定を説く、急進的なものだった。さらに既に顕在化しつつあった財政政策をめぐる対立が重なって、政府部内の軋轢はいっそう高まった。
そのような状況下で、北海道開拓使官有物払い下げ問題は世論の沸騰を招き、払い下げ中止運動と国会開設要求が結び付けられて論じられた。
こうした運動には大隈に近い人物も多く関与しており、大隈重信が福澤諭吉とともに黒幕として疑われた。
開拓使が経営する北海道の官営事業だけが、特殊な扱いを受け、大きな政治問題となった。
対応を迫られた明治政府は、払下げ中止をする一方で払下げ反対派の大隈重信らを政府中枢から追放した。1890年(明治23年)に国会を開く旨の詔書が出された。