東大安田講堂が完成した。 |
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東大安田講堂の公式名称は東京大学大講堂である。
しかし、東大紛争のさなか、1968(昭和43)年01月で安田講堂を占拠、封鎖した。1969(昭和44)年01月18日、占拠を排除するため8500人の警察官が出動した。バリケードを固め、石や火炎瓶を投げて抵抗する学生にたいし警察はガス弾と放水でこれを排除し、翌19日に封鎖を解除した。両日のこの攻防戦はテレビの実況中継で全国に放映され、一般の大きな関心と反響を呼んだ。
大学評議会はこれを受諾することを決め、総長は敷地を現位置に定めた。
基本設計がただちに工学部教授内田祥三のもとで開始され、建築委員会および建築実行部の2組織が設置された。
1922(大正11)年12月に着工、翌々1923(大正12)年02月に地鎮祭を挙行した。
基礎工事が進む途中で同年09月の関東大震災に遭い、若干の被害があった。
1924(大正13)年4月に工事を再開し、1925(大正14)年07月06日に竣工式が執り行われた。
1925年07月07日付の東京日日新聞は、
「善美を尽した東洋一の大講堂 安田家の寄附で出来上がった帝大の大講堂の落成式は、六日午後三時から文部大臣を初め各省高等官及び局長級、安田保善社幹部等来賓約四百余名を招じて盛大に挙行された。同講堂は内田祥三博士の設計でゴシック式、音響試験装置は中村博士の設計である。・・・正面中央の玉座には両陛下の御真影を奉置し・・・貴賓室、控室、各室ともあらゆる設備はその壮麗と相俟って、さすがに東洋一の名に恥じないものがある。」と報じている。