ローマ教皇ボニファティウス8世をローマ近郊のアナーニで捕囚。 |
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2017年 02月 20日
十字軍を提唱し、推進したローマ教皇は、神の庇護を受けた十字軍の遠征に失敗し、権威は大きく揺らぎ始めていたとき、フィリップ4世(Philippe IV/1268 - 1314)の意を受けたフランスの強硬な反教皇派であったモンペリエ大学教授のギヨーム・ド・ノガレ(Guillaume de Nogaret/1260 - 13130)は、ローマ教皇庁から追放されたイタリアの有力貴族で、教皇の反対派コロンナ(Colonna)家一族と共謀して、アルプスを越え、イタリアに軍を派遣した。ボニファティウス8世はローマ郊外の生まれ故郷で、山間の小都市アナーニ(Anagni)に逃げ込んだが、1303年09月07日に、フランス軍とコロンナ一族に捕らえられ、退位を迫られた。 アナーニ住民の頑強な抵抗で教皇は救出されたが、68歳の教皇はこの一連の事態に怒りと失望で傷心し、3週間後に死亡した。死因は持病の結石だったが、最後は精神錯乱状態で、アナーニの屈辱がショックであったらしい。 ただし、ギヨーム・ド・ノガレは、ボニファティウス8世を襲撃したのは、フィリップ4世には知らせていなかったと言われているが、フランス王フィリップ4世がローマ教皇との抗争に勝利したこととなり、結果的に教皇権の衰退を象徴する事件となった。 最後の十字軍の撤退から4半世紀後に即位した教皇ボニファティウス8世(Bonifatius VIII/1235 - 13030は、教皇こそが最高の権力を持つという教皇至上主義の考え方の持ち主であった。
by jiten4ujp
| 2017-02-20 16:43
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