江戸町火消を「いろは47組」に再編。 |
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2016年 09月 04日
江戸時代の消防組織「火消」は、武士によって組織された武家火消と町人によって組織された町火消に大別され、武家火消は、幕府直轄で旗本が担当した定火消と大名に課役として命じられた大名火消に分けて制度化されていた。 <a href="http://time-az.com/main/detail/56806">http://time-az.com/main/detail/56806</a> 江戸時代初期には、火消の制度が定められていなかったが、1717年03月04日(享保02年01月22日)に、小石川馬場の武家屋敷から出火し、西北風で延焼し、死者100人以上という小石川馬場の大火を受け、8代将軍徳川吉宗が主導した享保の改革によって、大岡忠相が主導して、町火消し組合の創設、防火建築の奨励、火除地の設定など、1720年08月07日(享保05年07月04日)に町火消が制度化される。 また、江戸町火消しいろは、地域割りを修正し、約20町ごとを1組とし、隅田川から西を担当するいろは組47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられた。 同時に、混乱する火事場での目印にするという目的で、各組の目印としてそれぞれ纏(まとい)と幟(のぼり)をつくらせた。 1730年(享保15年)には、いろは47組を一番組から十番組まで10の大組に分け、大纏を与えて統括し、より多くの火消人足を火事場に集められるように改編した。 一方で各町ごとの火消人足の数は負担を考慮して15人へ半減され、町火消全体での定員は17596人から9378人となった。
by jiten4ujp
| 2016-09-04 17:27
| 経済
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