史上最多、545人の日本兵捕虜、死の大脱走。 |
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2016年 09月 01日
ヨーロッパの大脱走より多い! オーストリアのシドニーから西に320km、ニューサウスウエールズ州カウラにあったカウラ捕虜収容所(Cowra Prisonerof War Camp)から1944年08月05日に、日本兵1104名のうち、史上最多となる545人以上の日本兵捕虜が脱走に成功した。この事件により日本兵捕虜231名が死亡、負傷者は108名にのぼった。 <a href="http://time-az.com/main/detail/56763">http://time-az.com/main/detail/56763</a> オーストラリア軍の死者は4名であった。 太平洋戦争末期、日本軍のたび重なる負け戦で日本兵の捕虜は日に日に増えていた。 オーストラリアに収容されていた日本兵捕虜の数は、1942年末にわずか10名だったものが、1944年07月になると1415名にまで増加した。 オーストラリア軍に捕らえられた日本人捕虜の第1号は、南忠男というゼロ戦のパイロットであった。開戦後まもない1942年02月19日に、ハワイ攻撃を終えた日本の機動部隊がダーウインを攻撃した。 これは第一次攻撃として航空母艦から発進したゼロ戦18機、艦上攻撃機73機、第二次としてセレベス島などの基地からの双発爆撃機54機、延べ145機による大空襲で、全くの不意打ちでもあったので軍事施設を中心に大きな損害を与え、ダーウイン港に集結していた連合国艦船23隻すべてが沈没または壊滅的打撃を受けた。民間人と軍人あわせて243名の死者がでて、市全体がパニック状態になったと言われている。 この攻撃で日本側は2機を失いました。1機は墜落して搭乗員は戦死し、もう1機は、機体は損傷を受けてダーウイン北方のメルヴィル島(Melville)のジャングルに不時着して、乗組員の一等飛行兵、22歳の南忠男はジャングルをさまよい歩いた結果、1942年02月24日になって原住民の手に捕らえられてオーストラリア軍に引き渡されました。 彼は日本人としての捕虜第1号で、捕虜につけられる番号もPWJP110-001で、PWは Prisoner of War(捕虜)の略で、JJPは日本を意味していた。 このような状況下でカウラ捕虜収容所も定員オーバーとなり、収容者の一部をカウラより奥地のヘイ収容所に移送することを決定しました。 このとき移送の基準となったのが兵か下士官かの違いであった。それまでは兵も下士官も同じ屋根の下で収容生活を送っていたが、この決定により兵と下士官が分離されることになり、ここに日本人収容者の大いなる不満が生まれた。 このことが脱走事件の直接原因の一つであると言われてる。 この事件は、 オーストラリア製作の288分のテレビ映画『カウラ大脱走(Cowra Breakout/1984年)』 NHKエンタープライズ『初めて戦争を知った - 若者たちの旅(2)生きて虜囚の辱めを受けず - オーストラリア・カウラ事件(1993年)』 『WAR OF THE SUN カウラ事件―太陽への脱出(Broken Sun/2008年)』 日本テレビ『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった〜カウラ捕虜収容所からの大脱走〜(2008年07月08日)』として、放送された。 1944-03-24---ドイツ捕虜キャンプ捕虜収容所Luft IIIからの大脱走。
by jiten4ujp
| 2016-09-01 11:58
| 戦争と平和
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