東海道四谷怪談、初演。 |
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鶴屋南北の代表的な生世話狂言であり、怪談狂言(夏狂言)と言われ、『仮名手本忠臣蔵』の世界を用いた外伝という体裁で書かれ、同じように合わせて2日にわたって上演された。
1日目は、『忠臣蔵』の六段目(勘平の腹切)まで 、そして、『四谷怪談』の三幕目(隠亡堀の場)まで
2日目は、『忠臣蔵』の七段目(祇園一力の場)以降、そして『四谷怪談』の三幕以降、最後に『忠臣蔵』の討入りになる。
『忠臣蔵』と続けて演じると、塩冶義士・佐藤与茂七が伊右衛門を討ったあとに吉良邸の討ち入りに参加することになる。
2つの劇を折り重ねて、さらに戸板を表裏に違った死体を貼り付けるなど、劇の中に異次元を提供することで、観客を幻覚の中に誘い込む。
さらに、現在、四谷左門町には於岩稲荷田宮神社と於岩稲荷陽運寺が、道を挟んで両側にある。また、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社がある。
劇の後に、自分が住んでいる町に観客を誘い込み。現実と劇の境を取り払う演出は、天才的と言える。
問題は、東海道四谷怪談を演じると、長生きできないという噂である。
1928-07-12---2代目市川左団次らの歌舞伎一座が、モスクワに向けて出発した。