文部省創設。 |
文部省の設置は廃藩置県後まもない1871年07月18日(明治04年07月18日)であり、「大学ヲ廃シ文部省ヲ被レ 置候事」という太政官布告が発せられている。
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「大学ヲ廃シ文部省ヲ置ク(明治四年七月十八日太政官布告)」が公布された太政官布告であり、太政官布告とは明治初期における法令の形式。
大学ヲ廃シ文部省ヲ被置候事
(参照)○七月二十一日(文部省通達)
旧大学本校ヲ以当分本省ト致シ候間此段及御通達候也追テ元大学東南両校之儀ハ爾来単ニ南校東校ト相唱ヘ候条両校ヘ之諸達其外総テ当省ヘ御掛合有之度候也
大学を廃止して文部省を置くということは、この時まで大学が教育行政の機能をもっていたためである。1869年07月(明治02年07月)の官制改革により教育行政官庁として「大学校」が設置され、1869年12月(明治02年12月)にこれを「大学」と改称している。当時の大学は最高学府であるとともに教育行政官庁であった。1870年07月(明治03年7月)に大学本校は閉鎖され、その教育・研究の機能を失ったが、行政官庁としての大学は存続していた。この大学が廃止されて、新しくもっぱら教育行政を担当する機関として文部省が設置されることとなったのである。