「サーダバード条約」を締結。 |
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俗称として、「サーダバード条約(Saadabad Pact/Treaty of Saadabad)」ともいう。
国境紛争で対立関係にあったイラン、イラク両国が、1932年のイランの国際連盟加入後、急速に和解に向かったことで、中東の自立を確保しようとするイスラム教諸国が、1930年後半からドイツ、イタリアなど全体主義国家が、自由主義国家の植民地・半植民地への攻勢を強め,イタリアは紅海を経由してエチオピア侵略を進め,ドイツはトルコ、イラン、アフガニスタンに経済的進出をはかり、その東地中海・中東進出を警戒し、自国の中立と安全をはかるため相互の協調をはかるため、1935年トルコ・イラン・イラクのあいだに条約締結の同意ができ、,1937年アフガニスタンの参加を得て、「サーダバード条約」を締結した。
この条約は、トルコ、ユーゴスラビア王国、ルーマニア、ギリシアのバルカン協商諸国、サウジアラビア、トランスヨルダン、エジプトなど中東諸国へと友好協力関係が拡大された。
テヘランにある離宮サーダバード宮(Sa'dabad Palace)の緯度、経度
35°49'02.1"N 51°25'24.4"E
または、
35.817252, 51.423451