記録に残る富士山の最古の噴火。 |
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「《天応元年(七八一)七月癸亥【六】》○癸亥。駿河国言。富士山下雨灰。灰之所及。木葉彫萎。」
天応元年07月癸亥、駿河國は、富士山に灰が雨のように降り、灰の及んだ所では木 の葉がすべて枯れてしまった
ただし、文献だけで、信じる時代は、そろそろ科学の時代に手遅れである。
文献学の元祖である書誌学も、最近は、文献だけでは多くの疑問が出始め、科学的分析が先行し始めている。
そして、お粗末な科学的分析も多くなっているのも事実である。
また、ここで紹介した
天応元年(781年)7月6日・・・『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記録されている
「秋七月癸亥、駿河國言、富士山下雨灰、灰之所及木葉彫萎」
また、朝廷によって8世紀後半に編纂された『続日本紀』に「(天応元年)秋七月(中略)癸亥,駿河國言,富士山下雨灰, 灰之所及木葉彫萎」とある。
と紹介しているが、どうも単純なコピー・ペーストのようで---
『続日本紀』の記録が、必ず正しいといえる証拠はなく、中国の文献と比較すると、かなり違っていることも明らかになっている。
例えば、
日本書紀と中国側の隋書では、表記が全く異なっている。
そろそろ地質学的に記録が残る富士山の最古の噴火という考えも必要だろう。
富士火山(約10万年前から)を中心とする地域には、小御岳火山(約30万年前から)、愛鷹火山(約30万年前から)、箱根火山(約50万年前から)、伊豆東部火山群などが活動し、多量の溶岩とテフラを噴出してきた。
10万年前には、既に小御岳火山、箱根火山、愛鷹火山などが存在する。
小山町付近に分布する厚さ数10mの駿河れき層の堆積面の傾斜、れきの並び方などの研究から、酒匂川は図のように、西〜南西の方向へ流れ、駿河湾へ流れ込んでいたと言う考えもある。丹沢山地から運ばれる、白っぽい石英閃緑岩や緑色の緑色凝灰岩、緑色片岩などの特色ある礫が愛鷹山の西や東のボーリングで見つかれば確かなことであるが、現在見つかっていない。或いは箱根火山と小御岳火山の間に湖があって、この湖に運ばれたれき層かもしれない。
10万年前、小御岳火山の南斜面に噴火口を開いて、古富士火山が爆発的な噴火活動を開始し、テフラ(火山灰、軽石、スコリアなどの火山放出物)と玄武岩の溶岩を盛んに噴出した。
これらの文献記録がないから、真実ではないということはできない。
0607-08-01---第2回遣隋使が出発。