羽田空港がアメリカから全面返還。 |
米軍による飛行場の接収は、この地域には一般人も住んでいましたが、48時間以内に立ち退きを命じられ、強制退去させられた。
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東京飛行場は日本のみならず極東の玄関として、軍・民問わず重要な役割を担うこととなった。
羽田空港が、1952年07月にほとんどの施設が返還された。
管制業務は、日本側の要員が整っていなかったため、米軍に委託された。
当初はまだ旅客ターミナルなどの施設は整っておらず、整備や米軍関係施設のある一角に、小規模な旅客取扱施設があった。
民間専用ターミナルが出来るまでは、多くがまだ米軍基地であったため、空港への入場には「入場票」が発行されていた。
その際に、呼び名も「Haneda Army Air Base(羽田陸軍航空基地)」から「東京国際空港」になった。
その後1958年07月30日に全面返還され、日本が世界中の国々と交流を深める際に不可欠な日本の空の玄関口として活躍しすることになった。
新しくオープンしたターミナルビルは、東洋一の規模ともいわれ、たちまち観光名所になった。