平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫が亡くなった。 |
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この年、平安京周辺は干ばつに見舞われて、延長08年06月26日に「雨乞の実施」について、是非を醍醐天皇がいる清涼殿において太政官の会議が開かれることとなった。
ところが、午後1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱を落雷が直撃した。
大納言民部卿の藤原清貫(ふじわら の きよつら)の衣服に引火し、焼かれて、陽明門から、秘かに外に運び出されたが、即死。
右中弁内蔵頭の平希世(たいら の まれよ)も顔を焼かれて、修明門から車で秘かに外に運び出されたが、瀕死。
落雷は隣の紫宸殿にも走り、右兵衛佐美努忠包(みぬ の ただかね)が髪を、紀蔭連(き の かげつら)が腹を、安曇宗仁(あずみ そうにん)が膝を焼かれて死亡、警備の近衛も2名死亡した。
醍醐天皇は、急遽清涼殿から常寧殿に避難したが、3ヶ月後に崩御した。
菅原道真が死んでから、天皇家や朝廷で不幸が続いていた。