岐阜の高校生が、長篠の戦いでの鉄砲の数を文献の筆跡から検証。 |
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報道・放送部は2013年から、岐阜県関市の県博物館から展示のPR動画の制作を請け負ってきた。
今春の展示が信長らをテーマにすると決まり、動画の内容を話し合っていたところ、博物館から織田信長の家臣太田牛一が記した信長の一代記「信長記」について教えられた。
長篠の戦いで勝敗を分ける原因となったとされる鉄砲の数は、信長記にある「鉄砲三千挺(ちょう)計」が通説だったが、研究者の間では、信長直属の鉄砲が約1500丁で、ほかの武将らの鉄砲を合計すると数千丁にのぼるという見方がある。
信長記の記述は、なぜか「三」の文字だけが小さく、太田が「鉄砲千挺計」と書いた後、誤りに気づいて自分で付け足したという説や、後世に別人が付け足したという説がある。
そこで部員たちは、信長記から「三」の文字をすべて抜き出し、筆跡を検証することにしたと報告している。
これには、デジタル書誌学の検証法を採用した。
つまり、博物館を通じて全15巻、計1278ページの信長記の画像データを借り、交代でパソコンに向かってひたすら「三」の文字を抜き出したところ、270個が見つかった。
さらに画像処理ソフトを使って「鉄砲三千挺(ちょう)計」の「三」を赤色、抜き出したほかの「三」を黒色にし、文字を重ね合わせて1文字ずつ印刷し、「三」の字体を比較した。
私も本阿弥光悦の古活字版伊勢物語慶弔3年刊嵯峨本第1種イ版を国立公文書館内閣文庫蔵を調査するため、マイクロフィルムを入手して、スキャンしたり、フォト・コピーをして、デジタルとアナログの両面から解析に挑戦したが、画像解析ツールのよいものが見つからず、結局フォト・コピーを活字ごとに切り、それをカード化して、目視で比較し、分類した。
まだまだ、本格的にデジタル書誌学の検証法を実現するのは、難しいと実感した。
日本の書誌学は、まだこのような比較解析に疎く、人が書いた本を読んで、研究者という人が多い。
これでは、書誌学とは呼べない。
古文書が読めたから、古文書学者と言っているような者である。
それは基礎で、次の踏み込みが無い。
たまに、天理図書館のキリシタン版の研究のように活字分析もしているが、完全ではなく、眺めていて気が付いた程度で、科学的と呼ぶにはほど遠いのが、現状である。
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